赤井英和
96年に100kmに挑戦。予定していた時間内でのゴールが間に合わず、番組史上初の放送時間延長が行われた。
赤井は当時37歳、元プロボクサーとあって体力面の問題はなかったものの、この年は「つなげよう!愛のタスキリレー 日本列島縦断3600キロ」として、一般参加者600人がつないだタスキをアンカーの赤井に渡すというリレー形式での開催だったため、一般参加者の遅れにより赤井の出発もずれ込むことに。時間内にゴールできなかったため放送が延長されたが、繰り下げ対応がされなかったために後座番組の『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が番組途中から放送されるという異例の事態も起きた。
05年以降は後座番組を生放送とし、本編でのゴールが間に合わない場合も放送延長をせず、後座番組内で中継するという方法で対応している。