間寛平
チャリティーマラソンは、1992年の番組リニューアルとともに始まった。その初代ランナーに選ばれたのが当時43歳の間寛平。新潟県の苗場プリンスホテルから東京の日本武道館を目指す200kmのコースに挑戦したが、153km地点で途中棄権することに。
これは事前にルートを公開していたため、間の走る姿を一目見ようと沿道に人が殺到してしまい、近隣への迷惑や交通の妨げとなることが危惧されたため。以降、コースは非公開となった。間は翌年には200kmに再挑戦し、無事に走破。95年には、同年1月に起こった阪神・淡路大震災を受け、被災地復興を願って神戸市から日本武道館まで600kmを1週間かけて走った。
番組史上、間は唯一リタイアしたランナーであり、複数回ランナーを務めたのも間だけだ。