山田邦子が売れたのは、ビートたけしの代打がキッカケ? その裏話を語る

相川ナロウ

 23日放送の『1周回って知らない話』(日本テレビ系)に山田邦子が出演。この日の放送では、女性MCを目指す滝沢カレンが、過去のレジェンドたちへ会いに行く企画が行われ、山田のほか黒柳徹子も出演した。

 山田といえば、1980~90年代なかばにかけて、女性MCとして絶大な人気を誇った人物である。好感度調査では常に上位をキープし『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)のメインパーソナリティも務めている。「唯一天下を取った女芸人」とも呼ばれ、平成を代表する女性タレントの一人であるだろう。

 彼女は高校時代から素人番組で活躍し、81年にプロデビュー。当初はバスガイドの口調などを真似するコント風の漫談が持ち味だった。そんな山田が、テレビで活躍するきっかけは、当時は太田プロダクションに所属していた、ビートたけしだった。

 たけしが番組を「ズル休み」するため、その代役として度々山田が抜擢された。右も左もわからなかった彼女は、とにかくボキャブラリーを増やすことを心がけ、ひとつのリアクションに対し感想を10個使い分けるといったトレーニングを行っていった。

 さらにお笑い芸人とともに女優業も行っていた山田は、時代劇に出演するためかつらを装着しやすいように頭を丸坊主に。それでもたけしの代役としてオファーがあり、番組で坊主頭を披露し、さらに話題を呼んでいったという。ただ彼女が坊主になったのは、過度なストレスにより円形脱毛症になったのも影響したようだ。

 86年にたけしがフライデー襲撃事件を起こし、事務所から独立しオフィス北野を設立すると、山田は太田プロの稼ぎ頭としてさらに露出を増やしていく。この日の放送でもVTRが流された『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)などでの活躍はよく知られているだろう。

 もともと才能にあふれていたことに加え、ビートたけしという大物がそばいたからこそ、山田が売れていったのは確かだろう。知られざる芸能史を知る一夜となった。

(文=相川ナロウ)

山田邦子が売れたのは、ビートたけしの代打がキッカケ? その裏話を語るのページです。エンタMEGAは、エンタメの最新ニュースをいち早くお届けします。芸能ニュースの真相に迫るならエンタMEGAへ!