異様な雰囲気が酷似! 「SMAP」メンバー謝罪中継で思い起こされる明菜&マッチの“金屏風事件”
編集部
ジャニーズ事務所の勝因は、メンバーの1人である木村拓哉を残留させたことに尽きるというのが業界内のもっぱらの意見で、「あれで、当初バックアップを予定していた芸能界の大物たちも、Iさんのサポートに難色を示したわけだからね」とは別の芸能プロダクションの幹部。 そうした中、“出戻り組”の4人の将来を憂う声も多い。 「まあ、今回の功労者の木村は当分の間は安泰だろうけど、出戻り組の4人には今後厳しい道が待っているだろうね。メリーさんの性格からして、一度でも自分を裏切ろうとした者たちを果たして本当に許すのかどうか…。事務所的には、『SMAP』の今やっている仕事は後輩グループに移行していった方がいいだろうし。金になる25周年の興行がひと段落ついた時点で、徐々に干していくんじゃないかな」(同芸能プロ幹部) 今回の騒動でも、木村の妻の工藤静香を味方につけるなど、遺憾なく発揮されたメリー副社長の剛腕だが、今でも業界内で語り草となっているのが80年代を代表する人気アイドル2人の騒動だ。 業界内では“金屏風事件”としていまだに語り継がれているこの騒動。
1989年7月、当時人気絶頂だった中森明菜が、交際中だった近藤真彦の自宅マンションで左手首を切る自殺未遂を起こす。
一部では、結婚を望む明菜は近藤のために数千万円単位の金を貢いでいたとも噂されて、世間の大きな関心を集めた。 「明菜は一見派手なタイプに見られるものの、男関係については真面目で、ホレた男にはとことん尽くすタイプ。結婚願望も強く、仕事を差し置いてでも近藤との結婚を望んでいた。近藤の方はまだまだ遊びたい盛りでしたし、その反面アイドルという立場から結婚はできない。そもそもが、かなわぬ恋で、近藤からしてみれば明菜の存在が次第に重くなっていったんでしょうけど、あの仕打ちは明菜があまりに可愛そうでしたね」とは当時を知るスポーツ紙の記者。 明菜の回復を待って、その年の大みそかの日、近藤同席のもと世間を騒がせたということで緊急謝罪会見が行われるのだが…。
金屏風をバックに明菜がすすり泣きながら近藤への“お詫び”と“感謝”の言葉を述べる一方で、近藤は“友人”の窮地を救ったヒーローのごとく登場して明菜を励ますと、自身の今後の抱負を語るなど、傍から見ていてもあきらかに不自然なものだった。
そして、この異様な会見を仕組んだのが、メリー副社長と言われているのだ。 「表向き、あの会見は明菜たっての希望で行われたという体になっていましたが、実際にはジャニーズサイド主導で近藤のイメージ回復のために仕込んだものです。以前からメリーさんは明菜に、近藤と別れるように忠告していたのですが、明菜の結婚の意志が固いと見るや、まずは明菜に当時所属していた大手事務所の悪口を吹き込み、孤立させようとしたと言われています」(同スポーツ紙記者) 実際、明菜はこの会見の直前に個人事務所の設立を発表し、自ら大手事務所のバックアップを失ってしまう。
孤立した明菜に、さらなる悲劇が追い打ちをかけたという。