清原和博に再起の場を提供… とんねるず・石橋貴明の「義理人情に厚い」エピソード3選

相川ナロウ

活動休止に苦しむ岡村隆史を救った一言

 石橋は、どの事務所の所属かは関係なく、若手芸人の面倒を見ることでも知られる。90年代にブレイクし、スター芸人となったナインティナインの岡村隆史は、2010年に体調不良で休養。およそ5ヶ月間、活動を休止することになったが、“休む”ことに抵抗があり、引退まで考えるなど思い詰めたという。この時、「またやりたくなったらやればいいし、ゆっくり休みなさい」と声をかけたのが石橋だった。この言葉がきっかけとなり、岡村は全部を一人でやらなくていいと思えるようになり、力を抜くことを覚えたと『石橋、薪を焚べる』(フジテレビ系)で明かしている。

ラジオ番組ボイコットの背景にスタッフとの信頼関係

 とんねるずは1985年から92年まで深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送系)を担当していたが、降板の理由は、同局の大物社員・M氏の存在だった。M氏について石橋は「何の世話にもなってない」と考えていたが、とんねるずがニッポン放送のとある仕事を断った際、M氏がパーティの席で「こいつら、俺の仕事を断るんだ」と絡んできたため、石橋が激怒。出演をボイコットするなどし、これがきっかけとなって番組は終了した。スタッフとの信頼関係を重んじる石橋にとって、これを壊しかねないM氏の“恩着せがましさ”は看過できないほどのものだったのだろう。

自ら上層部に働きかけ、才能あるマッコイの“出禁”を解く

 現在、石橋がもっとも信頼を置いでいるであろうマッコイ斎藤。彼との初対面の場は、極楽とんぼの番組の打ち上げの席だった。マッコイを面白がった石橋は「ウチラの番組、手伝ってくんない?」と誘うも、この時、彼はフジテレビを「出入り禁止」になっていたという。そこで石橋は、とんねるずの数多くの番組を担当し、当時バラエティ制作局長だった港浩一氏に直接掛け合い、“出禁”を解除。その後マッコイは『おかげでした』で「全落・水落シリーズ」といった人気コーナーを生み、番組の総合演出に昇格。「貴ちゃんねるず」にも関わるなど現在までその関係は続いている。
(文=相川ナロウ)

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