“海外留学”の高い壁! ブレーク中に留学した芸能人たちのその後!!

編集部

  1990年代にトレンディ俳優として人気を集めた俳優・吉田栄作は人気絶頂だった1995年に芸能活動を休止し、役者修行のために渡米する。
  結果的に米国での派手な活躍は果たせずに3年ほどで帰国したが、語学力が身に付き、米国で苦労した結果、渡米前の俺様的な態度を改めて、役者としてのキャリアを積み上げている。

  また、鍛え上げたムキムキボディーが売りのお笑い芸人・なかやまきんにくんは、2007年からボディビルが盛んな米カリフォルニア州のサンタモニカに“筋肉留学”。
  1度帰国したが、2008年1月から永住覚悟で無期限での筋肉留学を開始し、ハリウッドスターで元同州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーの母校でもあるサンタモニカ・カレッジに留学したが…。

「現地での食事が合わず、留学中に線が細くなってしまったとか(笑) ただ、授業も日常会話もすべて英語の環境で飛躍的に語学力は向上。同校を卒業後、2012年から東京に拠点を移しました。芸人としては留学前とさほど変わらないポジションではありますが、出場したボディビルの大会では好成績を収めるなどマルチな活躍を見せています」(前出のスポーツ紙デスク)

  現役のジャニーズタレントの前代未聞の留学として話題になったのが、当時、「KAT-TUN」のメンバーだった赤西仁だ。
 
  2006年10月、ジャニーズ事務所は「若いうちに海外で勉強したいという本人の強い希望を尊重し、半年間、留学を認めた」と説明。
   赤西の強い要望を受け、半年間の留学を許可したというが、その一方で「活動再開の時期は未定」と発表した。
  翌年4月に帰国して活動を再開したが、2010年7月に「KAT-TUN」を脱退してソロに転身。
  米国公演を行うなど全米デビューを視野に入れたが、2014年2月いっぱいでジャニーズ事務所を退所した。

「ジャニー喜多川社長が特別に目をかけていたこともあり伸びのびとやらせていましたが、2012年2月に女優の黒木メイサと“デキちゃった結婚”したことで、さすがにかばいきれなくなった。赤西本人は全米デビューに手応えを感じていたようだが、そんなに甘くはなく挫折。黒木との結婚当初は“ヒモ夫”などと揶揄されましたが、インディーズではそれなりの人気を集めています」(同スポーツ紙デスク)

  こうして見てみると、やはり海外留学のリスクは高そうだが、果たして綾部は成功をおさめることができるのか?

“海外留学”の高い壁! ブレーク中に留学した芸能人たちのその後!!のページです。エンタMEGAは、エンタメカルチャーの最新ニュースをいち早くお届けします。芸能ニュースの真相に迫るならエンタMEGAへ!