おおらかな昔は良かった!? “女遊びは芸の肥やし”を堪能した人気歌舞伎俳優たち!!

編集部
中村芝翫

先月に「週刊文春」で京都の芸妓との不倫を報じられ、謝罪会見を行った歌舞伎俳優の中村橋之助改めて8代目中村芝翫が、今月2日に3人の息子とともに東京・歌舞伎座で襲名披露興行の初日を迎えた。

  初日公演の口上では、先輩の尾上菊五郎から不倫をネタにいじられるひと幕もあったが、「不倫騒動前、チケットの売り上げはいまいちだったが、芝翫の妻で女優の三田寛子も会見で謝罪し、世間からは高評価を得た。結果的には話題性もあり、チケットの売り上げは上々となったようです」(スポーツ紙の演劇担当記者)

  妻の“神対応”で何とか苦境を脱したものの、一時期は世間から猛バッシングを浴びた芝翫。
  つい先日も、ビートたけしが「いいじゃねえか別に。エンターテインメントに倫理観を強要しちゃいけませんよ。我々は人を楽しませるために芸事をやるから、私生活の面はいいじゃない…ってところはあるよね」とコメントしていたが、一昔前は歌舞伎俳優の女遊びは芸の肥やしとも言われていた。

  実際、世間の目がおおらかだったこともあり、多くの歌舞伎俳優が結婚後も浮名を流した。

  2012年に亡くなった中村勘三郎さんは歌舞伎界きってのプレイボーイとして知られていた。
  1994年には交際が噂された女優の宮沢りえが自殺未遂騒動を起こしたが、会見を開いて男女関係を否定。
  その後も、女優の米倉涼子との密会現場に妻が乗り込んで来たことが一部で報じられるなど、女性関係の話題には事欠かなかった。

「亡くなってからは“最後の女”として歌手の椎名林檎との交際説も浮上していました。しかし、勘三郎さんは、宮沢りえとの騒動の際に芸能界の大物に相談。以後、その大物からバックアップを受けていたこともあり、スキャンダルが表沙汰になることも少なく、ほとんど仕事に影響することもありませんでした」(スポーツ紙の演劇担当記者)

  昨年2月に亡くなった坂東三津五郎さんは、1996年に当時フジテレビで現在はフリーの近藤サトアナウンサーとの不倫が報じられ、翌年に前妻と離婚した。
  不倫報道の影響もあって局内での居場所がなくなった近藤アナはフジを退社。
  退社後、三津五郎さんと結婚したが、梨園のしきたりになじめなかったことなどが原因で2年足らずで離婚した。
  その後、近藤アナはめっきりと仕事が減り、実業家と再婚。
  一方、三津五郎さんは2001年に三津五郎を襲名。 以後、亡くなるまで独身だったが、前妻との間に産まれた坂東巳之助が世継ぎとなった。

  2002年には、当時すでに大御所だった中村鴈治郎がホテルで50歳年下の舞妓と密会したうえ、“ご開チン”している写真を週刊誌に掲載され、現役バリバリをアピール。
  血は争えないようで、翌年には息子の中村扇雀も不倫騒動を起こした。

おおらかな昔は良かった!? “女遊びは芸の肥やし”を堪能した人気歌舞伎俳優たち!!のページです。エンタMEGAは、エンタメ舞台カルチャーの最新ニュースをいち早くお届けします。芸能ニュースの真相に迫るならエンタMEGAへ!