爆笑問題・太田、笑いと文学との出会いは「あの大物芸人」との死別がきっかけだった

編集部

 3月31日深夜に放送されたラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ系)において、29日に亡くなった志村けんさんの話題から、太田光が笑いと文学へ出会った経緯について語られた。

 太田は「突然『エッ』というのはさんざん(経験してきた)」と語り、その死を受け入れるには時間がかかるのではと述べた。

 太田が突然の別れを最初に体験した芸人は、三波伸介さんだった。『笑点』(日本テレビ系)の3代目司会者として活躍していた三波さんは、1982年に52歳の若さで急死している。コメディアンとしての活動以外にも『夜のヒットスタジオ』『スターどっきり(秘)報告』(ともにフジテレビ系)などで司会者もこなす三波さんを、太田は「マルチタレントの元祖みたいな人」と評した。

 三波さんが急死した時、太田は17歳。よく知られているように、友人が一人もいない暗い高校時代を送っていた。太田は「三波さんが亡くなったことで、どうにもこうにも言葉の整理がつかない」状態になり、ノートに思いの丈を書きなぐるようになった。「どうしたらいいんだと。自分の失った気持ちが返ってこない。言葉にすると多少落ち着く。毎日思ったことを書くんだよね」と当時を振り返った。

 そこには「道化」や「笑い」に対する熱情が溢れており、「おかしな人の文章だよ。そんなの見たら」と自虐的に表現しつつ、「それが俺を救ったんだ。そこから文学に入っていくんだけど。何年もかかるよ。それがお笑いになって……」と、笑いと文学が自身の人格やアイデンティティを形作っていったことについて語られた。

 志村さんの追悼から、太田光が自身の根っことなる部分を掘り下げる放送になったと言えそうだ。
(文=相川ナロウ)

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