吉本批判の清水圭、なぜテレビから消えた?

編集部
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 23日に吉本興業の岡本昭彦社長の記者会見を受けて、同社所属芸人である清水圭がオフィシャルブログを更新し、その内容が話題になっている。
 
 ブログによれば、清水は18年前の2001年にダウンタウンの浜田雅功が主演し、吉本芸人も数多く出演した『明日があるさ』(日本テレビ系)の第1話に出演予定であった。ただ事前の準備稿の内容が、決定稿では半分ほど変わっており、自身の見せ場もなくなっていた。マネージャーに抗議をしたところ、ほとんどの面識のない岡本氏が現れ「会社のやり方に文句があるならいつやめてもらってもいい」と恫喝口調で迫られたようだ。
 
 岡本氏の若手芸人に対する恫喝的な態度は、『スッキリ』(日本テレビ系)においても極楽とんぼ加藤浩次が告発している。
 
 ただネット上では「清水圭、ここでしゃしゃり出てくるなよ」「というか、この人久しぶりに見た」「そもそも誰?」といった声が聞かれる。概して、ここぞとばかりに現れた清水圭を非難する声が多いようだ。
 
 清水圭といえば、今でこそテレビで見る機会はほとんどないが90年代は『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)、『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)など数多くのバラエティ番組に引っ張りだこであった。高校から大学までサッカーを続けてきたスポーツマンであり、さわやかなルックスで人気を博した。
 
 さらに同志社大学卒業という肩書は、当時の芸人としては珍しい高学歴であった。1994年にはアイドル歌手でタレントであった香坂みゆきと結婚している。まさに芸人としては申し分のない人生を歩んでいたかに見えるが、なぜ彼はテレビから消えてしまったのだろうか。
 
「端的に言えば、東京進出後に“天狗”となってしまったのが原因といわれていますね。レギュラー出演して1年目の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)で1週間の夏休みを取るなど大物めいた態度が周囲の悪評を呼んでしまったようです。さらに、ドラマ出演のエピソードからもわかるとおり、番組作りに何かと注文をつけるタイプだったのも、避けられてしまったといえるでしょう。副業もこなしており、芸能活動を積極的にする必要がないのも見なくなった理由といえます」(芸能関係者)
 
 それでも、清水の芸歴は、ダウンタウンよりは後輩ながら、宮迫やロンブー亮よりは先輩といった位置づけになる。吉本のベテラン芸人の苦言を会社がどうとらえるのかは気になるところだ。(文=相川ナロウ)

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