急速に拡大? 吉本興業の東京進出30年史

編集部

 21日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)は、前日の20日に雨上がり決死隊の宮迫博之とロンドンブーツ1号2号の田村亮によって行われた記者会見を受けて、ダウンタウンの松本人志と東野幸治による緊急生放送となった。

 松本は「吉本はいつからか殿様商売になっているのでは」と指摘し「東京へ来たころは赤坂の8畳くらいのワンルームでホワイトボード1枚と黒電話2つからはじまった」と過去をふりかえり、原点に立ち戻って欲しいと訴えた。

 ダウンタウンが本格的に東京へ進出したのは今から30年ほど前の、80年代末である。今でこそテレビには吉本芸人が出ずっぱりであるものの、かつてはそうではなく、あくまでも関西のローカル芸能事務所だった。吉本興業は関東においてはここ30年で、急速に知名度をあげてきたといえる。その歴史をあらためてふりかえってみよう。

 吉本興業の本格的な東京進出の足がかりとなったのは、1981年にスタートした人気バラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)であった。この番組ではビートたけし、片岡鶴太郎、山田邦子といった関東芸人と、明石家さんま、島田紳助、西川のりおら関西芸人が一同に介した。いまでは東西芸人の共演は当たり前であるが、当時はきわめて珍しいケースであった。こうした共演例は『夢で逢えたら』(同)におけるダウンタウンとウッチャンナンチャンの共演などへつながってゆく。

 吉本興業は自前で劇場を持ち、そこに所属芸人を出演させる商売を行ってきた。関東においても1994年に銀座七丁目劇場、1995年には渋谷公園通り劇場をオープンさせる。銀座の劇場では、東京進出直後のナインティナインを司会に据えた平日夕方の生放送バラエティ番組『銀BURA天国』(テレビ東京系)が放送され、渋谷からは同様のスタイルで『今田耕司のシブヤ系うらりんご』(フジテレビ系)が放送されていた。それぞれの劇場ではオーディションを行い、銀座劇場からは極楽とんぼ、ダイノジ、ロンドンブーツ1号2号らが生まれた。渋谷の劇場ではガレッジセールがボランティアスタッフから芸人デビューを果たしたほか、爆笑問題やフォークダンスDE成子坂など他事務所の芸人も積極的に出演していた。

 1995年には吉本興業の芸人養成所であるNSC東京校が開校する。1期生の出世頭としては品川庄司や東京ダイナマイトのハチミツ二郎などがいる。

 吉本興業の東京進出30年史は、まさに快進撃と言った様相ではあるが、松本の指摘する通り、自らの立場を初心に帰りをふりかえってみる必要はあるかもしれない。(文=相川ナロウ)

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