令和開始と共に正月を迎えた『きのう何食べた?』サッポロ一番で年越ししたくなるケンジ飯
柿田太郎
「その方(ケンジ=内野聖陽)とは一生添い遂げるつもりでいるの?」
「老い支度(おいじたく)のこと、その人(ケンジ)と話したことあるの?」 追い支度とはいわゆる老後の設計のことなのだが、聞き慣れない言葉なので一瞬「追い鰹」が頭に浮かんだ。 シロさんは、そんな母親の様子を「押し付け」とか「苦行」と愚痴るが、その愚痴を聞かされていたケンジはシロさんに静かに言う。 「シロさんはさ、ちょっと贅沢だよね。(中略)『ゲイは恥ずかしいことじゃない』『息子がどんなでも受け入れる』って言ってくれるお母さん、一人息子のシロさんがもう絶対に孫の顔は見せてくれないってわかってて、たとえ上部だけでも理解のある言い方してくれる親に、ちょっとは感謝してもいいんじゃない?」 ドラマではまだ語られていないが、実はケンジの家庭は円満というわけではなく、特に父親はいないに等しい。 シロさんには有り難みを感じない母親の「お節介」だが、ケンジにとっては贅沢どころか自慢に聞こえてしまってもおかしくはない。 自分にとって当たり前のことが、人にとってはそうではない。一瞬ハッとさせられるシーンだ。 ドラマでは結構シリアス気味な口調でケンジがシロさんに忠告していたが、原作コミックでは、画ヅラではわからないくらい飄々といつもの柔和な感じのケンジだったので余計に生々しかった。 読者がわかるより先に、シロさんが「珍しく真面目に怒ってたな、あれは」と感づく様子が余計に長く連れ添ったカップルっぽくて、それはそれでいい場面だった。 気まずい夜を過ごした翌日、お互いに相手を心配する姿がいじらしい。職場で「言いすぎた」と反省してるケンジもそうだし、ケンジのためにいつもは作らないこってり中華を作ってあげるシロさんもそう。 食卓を囲みながらお互いの距離が縮まる様子を見て、人間関係の中心に実は食事があるということを再確認させられる。『孤独のグルメ』(同)のような飯と自分とを直線で結ぶような自己完結なドラマが昨今の流行りだが、こういう飯を軸に世界が繋がり広がって行くような物語もやはりいい。