「AKB48」卒業直後の岩佐美咲を独占インタビュー! 「アイドルという職業の素晴らしさを知ることができました」

編集部
岩佐美咲

  「AKB48」初の演歌歌手としてアイドル、演歌歌手として活躍し、一昨年リリースの『鞆の浦慕情』では約27年7ヵ月ぶりとなる快挙を達成した岩佐美咲が、今月14日をもってグループを卒業した。
  約7年間のアイドル人生に終止符を打ち、演歌一本で勝負をかける“わさみん”を卒業公演直後に直撃した――。

  岩佐は、今月14日に東京・秋葉原のAKB48劇場での卒業公演をもって、約7年間在籍した「AKB48」を卒業した。
  7期生としてグループに加入すると、渡辺麻友、「JKT48」の仲川遥香らともに派生ユニット「渡り廊下走り隊」のメンバーとしても活躍してきたが、卒業翌日に現在の心境を尋ねてみると、こう答えた。

「そうですね。もう自分が『AKB48』じゃないというのが、本当に嘘みたいです。まだこれからも、『AKB48の岩佐美咲です!』と絶対に言ってしまうだろうなという気がして。“AKB48の”は、私、岩佐美咲の名前の前に必ず付く言葉だったので…。今は、それが無くなることに慣れるまで時間が掛かるだろうなと思っています」

  約7年間通い続けたAKB48劇場での最後の公演を終えたばかりなのだから、そうした思いも理解できるが、「秋葉原のAKB48劇場で本当にすべてが始まったし、もう青春のすべてをそこで過ごしてきたし、家族よりも長い時間をメンバーと過ごしてきたので。自分にとってのホームである劇場に立つのが最後ということで、初めてステージに立った時のこととか、当時の思い出がすごくよみがえってきて、初心に帰れました。最後のステージが、AKB48劇場で本当に良かったなと思います」と感慨深げに続ける。

  21歳の誕生日にあたる今年1月30日に東京・浅草公会堂で行った初のソロコンサート。
  そこで卒業を発表した岩佐は、「自分に厳しくいきたいということで、私、岩佐美咲は『AKB48』を卒業します。『AKB48』だから応援してくださる方も多いのは分かっていますし、厳しい状況になるのは分かっているんですけど、演歌の道一本でやっていきたいという気持ちが強くなって。演歌、歌謡曲への愛が、日に日に強まって行く中で、こういう決断をしました」と涙ながらに決意をにじませた。
  今月 14日の卒業公演では、「アイドルとしての私をしっかり見納めて頂ければ」と話していたが、岩佐にとって約7年間のアイドル人生はいったいどんなものだったのか?

「アイドルをやって本当に良かったなと今は思っています。私は元々アイドルが好きで、アイドルに憧れて『AKB48』に入ったわけではないのですが、アイドルという職業の素晴らしさを知ることができましたし、私はアイドルを本当に素敵な職業だと思っていますし、誇りに思っているので。アイドルって素晴らしいです! 見ていても元気がもらえるし、自分がやっていても元気になれるし。『AKB48』に入らなければアイドルの魅力に気づけなかったと思うんです。これからもアイドルを応援してきたいし、その中でも『AKB48』には一番頑張ってほしいし、応援しています」

  たとえ道は違えども、アイドルという職業に対する愛情、そして感謝の気持ちはまったく色あせていないようだ。

  岩佐は、「AKB48」の一員として出演したイベントで披露した『津軽海峡・冬景色』が高い評価を受けて、氷川きよしや水森かおりら名だたる演歌歌手を育ててきた「長良プロダクション」に移籍。
  12年2月に、「AKB48」初の演歌歌手としてソロデビューを果たすことになる。

「『AKB48』のイベントとしてカラオケ大会が葛西臨海公園であって。祖父母と一緒に住んでいたのでよく演歌は聴いていましたし、大好きでカラオケで歌ったりしていたのですが、ファンの方の前で歌う機会がなかなかなくて。その時に、母が『演歌を歌ってみたら』と言ってくれたのがキッカケですね。そんなお話(=演歌歌手としてのデビュー)を頂けたことが、私にとっては本当に奇跡でした。歌手デビュー以前に、『AKB48』としてもっと頑張らなきゃいけないと思っていましたし、夢だった歌手デビューなんてできるのかなという時にお話を頂いて、本当にうれしかったです」と当時を振り返る。

  「AKB48」に加入するキッカケも母親の一言だったそうで、「ずっと歌手になることを夢見ていて。色々とオーディションを探していた時、母が『AKB48』のオーディションを見つけてくれて、『受けてみたら?』と。あの時、母が見つけてくれなかったら応募していなかったと思います」と明かす。

  こうして13歳で「AKB48」のメンバーとなった岩佐はその才能を見出されて、努力を重ねて演歌歌手として『無人駅』でデビューを果たす。
  そして、14年1月にリリースした3rdシングル『鞆の浦慕情』では、演歌歌手としては約4年5ヵぶりにオリコン週間シングルチャートで初登場1位を獲得し、10代の演歌歌手としては約27年7ヵ月ぶりとなる快挙を達成する。

  そうした中、気になるのはアイドルと演歌歌手の両立だ。 同じ芸能活動といえども、まったく異なるジャンルだけに苦労も多かったと想像されるが、「キツイとかツライとか思うことはなかったですね。アイドルとして活動していて、それが前提にあって、演歌の世界はまったく分からない状態で始まったので『しっかりしなくちゃいけないな』という思いはすごくありましたけど楽しかったです」。

  そのうえで、「ただ、まるでジャンルが異なる世界なので、空気感が違うなというのはありました。『AKB48』の時は、楽しむことが第一というか、まず楽しいという気持ちがあって。アイドルが楽しんでいる姿を見て、ファンの方にも楽しんで頂くという雰囲気があると思うのですが、演歌の場合はファンのみなさんに歌を伝えることが一番になるので、緊張感は演歌歌手としての活動の方が大きかったです。でも、そのぶん一つひとつのお仕事で自分が成長しているという実感があったので、すごく楽しかったです」とそれぞれの世界の魅力を説明する。

  自らの青春を賭し、愛してやまないアイドルの世界。それでも岩佐は、演歌歌手としてのさらなる飛躍を誓い自ら別れを告げる。

「(卒業は)意識していたというか、ずっと考えていました。やはり、『AKB48』はずっといるというよりは、メンバーそれぞれが夢に向かって卒業していくというのが、グループのコンセプトなので。みんな絶対に卒業のことは考えていると思いますし。周りのメンバーが卒業していって、大変そうではありますけど、夢に向かって頑張っている姿を見て、私も挑戦したいな、と。すごく刺激になりましたし、私もそういう存在になれたらいいなと思います」

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