爆笑問題・太田光、故・内田裕也さんの「ホラ吹き」ぶりを語る

相川ナロウ
爆笑問題・太田光、故・内田裕也さんの「ホラ吹き」ぶりを語るの画像1内田裕也さん

 19日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で、17日に亡くなった内田裕也さんについて語られた。

 爆笑問題と内田さんの共演は、2011年4月に放送された『爆笑問題の日曜サンデー』(同)のゲストコーナー「ここは赤坂応接間」の一度のみ。この日は、東日本大震災が発生した約1カ月後にあたり、内田さんはこれから宮城県石巻市へボランティアへ向かうと話していた。ただ放送中に余震が起こるも、番組内では触れられずトークが中断し、地震情報が入った。日曜午後の生放送ラジオのスタジオに現れず「録音」で出演したのは内田さんらしいともいえよう。

 当時を振り返り、太田は「何言ってるかさっぱりわからなかった。昔の俺はすごかったという話だけで、六本木で乗車拒否されたタクシーをおいかけて、赤信号で止まったのをつかまえて運転手の窓ガラスをパンチで割ったっていうんだ」とコメント。内田さんはラジオなのにもかかわらずパンチのモーションをつけてガラスを割る様子を解説したという。太田は「そしたら窓ガラスに拳の丸い穴が開いたっていうんだ。ウソつけって、そんなわけないだろ」とツッコみ、笑いを誘っていた。これには田中も「ポール牧さんのレベルですよね。しかもたけしさんの『オールナイトニッポン』の中野のポールさん」と話した。ポール牧は「ホラ吹きキャラ」として、ビートたけしのラジオでたびたびイジられていた。

 さらに太田は、内田さんが主宰していた『ニューイヤーロックフェスティバル』に松田優作が出演していた思い出を語り、「子どものころ優作さん大好きで、いつも『ニューイヤーロックフェス』にいて『裕也さんと同じ空気吸えるだけで幸せなんです』って言っていて、力也さんもいてさ、みんな内田さんを尊敬していて。でもみんな若くして死んじゃったから寂しかっただろうけど」と故人を悼んだ。内田さんはある世代以上の人間には、多くの影響を与えたといえるだろう。
(文=相川ナロウ)

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