爆笑問題・太田光、亡くなった浅井良二社長との思い出を語る

編集部

 爆笑問題の太田光が27日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ系)において10月9日に亡くなった浅井企画の浅井良二社長との思い出を語った。浅井社長を偲ぶ会が27日に行われ、会場の様子も伝えられた。

 爆笑問題は生前の浅井社長とは数えるほどしか会っていない。「若手のころ、ようやく俺らが仕事がぼちぼちできるようになったときに、『ボキャブラ』の大部屋の楽屋に浅井さんがこられて『応援してるから君たちがんばんな』とすごく優しく声かけてくれね」と思い出を語った。

 当時『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)に出演する若手の楽屋は、大部屋に集められていた。通常、大手事務所の社長がそうした場に顔を出すことはほとんどない。浅井社長の人柄が偲ばれるエピソードだ。

 さらに、偲ぶ会の入口では“欽ちゃん”こと事務所頭の萩本欽一が「来る人みんなに深々と頭を下げて、新社長を紹介していた」様子を語った。

 太田は欽ちゃんの様子を「優しい笑顔で芸人さんの、なんともいえない悲哀というかね」と印象を披露した。さらに1980年代の漫才ブームに話は及び、当時ツービートとして出始めたビートたけしが、浅草芸人の先輩にあたる萩本を「偽善者」と攻撃し、欽ちゃんが追いやられていった記憶を語った。

「当時はたけしさんに乗っかって欽ちゃんは偽善者だと思ったけど、欽ちゃんの方が残酷で、たけしさんの方がヒューマニズムにあふれている」と後に気づいたエピソードを話した太田。芸人歴を重ねるにしたがって、芸人の表面的な顔ではなく深みを知ることになったのだろう。

 太田は会場で“秀ちゃん”こと中山秀征と話しており、太田は「浅井会長がいなくなって寂しくなるから、俺も浅草の火を消しちゃいけないと思うし」と、自らが浅草芸人になりきってホラ話を続けたようだ。冗談をまじえながらも、太田の中には自分が関東の芸能界を背負っていく自覚は芽生えつつあるのかもしれない。
(文=相川ナロウ)

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