15日深夜放送の『伊集院光深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)において、伊集院が漫画家の藤子不二雄と爆笑問題の類似説について語った。
きっかけとなったのは14日朝に放送された『伊集院光とらじおと』(同)である。この番組に藤子不二雄Aが出演し、若手時代に漫画の仕事を干されていた時のエピソードとして、相方の藤子・F・不二雄は家に籠もっていたが、根が楽天家のAは、哲学堂公園で草野球を楽しんでいたと話した。
伊集院はこのエピソードを聞き、爆笑問題の話を思い出したようだ。爆笑問題は1990年にそれまで所属していた太田プロダクションから一方的に独立したことで、仕事を徹底的に干される。太田光は、家に籠もりファミコンの『ドラゴンクエスト』をやるほかは、ネタ作りをしていたが、相方の田中裕二は草野球を楽しんでいた。若手時代の伊集院は、田中が来ると知り仕事を干され、さぞ落ち込んでいると思いきや、グローブをパンパンと鳴らしながら現れ「毎日野球ができて楽しい」と、あっけらかんとした様子であり驚く。さらにその場所は偶然にもAが草野球を楽しんだ哲学堂公園であった。
さらに、漫画の仕事において編集者から描き方や内容に注文が来ると「F先生は自分のやり方があると突っぱねる」のに対しA先生は「まぁまぁ、そこは俺が描くよ」となだめる立場だったという。実はこの話も爆笑問題と符合するようだ。
爆笑問題の再ブレークのきっかけとなったのは1994年にスタートした『タモリのSuperボキャブラ天国』(フジテレビ系)内の若手芸人による作品発表コーナー「ボキャブラ発表会・ザ・ヒットパレード」である。笑いにこだわりのある太田は「ダジャレのネタなんか作れるか」と突っぱねた。そのため「ボキャブラ」のネタは田中が作っていたのだ。
対象的なキャラクターでありながら、お互いを補いつつ、実のところは深い絆で結ばれている。そうした姿を見るに、確かに藤子不二雄と爆笑問題は似ているのかもしれない。
(文=相川ナロウ)