ギョーカイ的ドラマレビュー その10

吉岡里帆は自転車こいで喜んでる場合じゃない!? 結局何も解決しなかった、『健康で文化的な最低限度の生活』最終回レビュー

編集部

「健康で文化的な最低限度の生活」もいよいよ最終回。前回の終わり、「生活保護費が振り込まれない」と、区役所に怒鳴り込んできた、丸山梓(松本まりか)とその彼氏。対応した半田明伸(井浦新)、京極大輝(田中圭)、義経えみる(吉岡里帆)らは、生活保護を受給するはずの住所に住居実態がないために、生活保護費を渡せないことを告げるとともに、子供のいる家に一週間も帰らないのは、育児放棄であり虐待だと告げる。すると、「虐待なんかしてません」「金出せよ」と丸山とその彼氏が暴れ出す。この丸山梓役の松本まりかが実に上手に気持ち悪さをかもし出しており、なかなかの怪演である。

 疲れて家に帰ったえみるの部屋には、母親が田舎からやってきていて、一緒にご飯を食べながら、「あんたも立派になったねえ。昔は映画監督になりたい、なんて言っていたこと、もう忘れてたよ」としみじみ。これ、視聴者も忘れてたと思う。初回のほうに出て来た、原作にはない「映画監督になりたかった」という設定は、いったい何のためだったのだろうか?

 一方、児童保護施設に入所した丸山梓の子供、ハルカ。心配して様子を見に来たえみるに、ハルカは「いつ家に帰れるんですか」と聞く。どんな母親であっても、子供は一緒にいたいのだとえみるは知ることになる。

 結局、今回のエピソードでは、丸山梓は娘・ハルカのもとに帰ってくる、ということと、借金のために子供を産むことをためらっていた、阿久沢の娘、麻理が出産を決意するというふたつの決断が描かれる。しかし、あんなに育児放棄をして感じの悪い母親ぶりを発揮していた梓が、梓自身も児童養護施設の出身だった、という新しい事実が挟まれただけで、いい母親となって戻ってくることに必然性があるのか。麻理にしたって、借金の問題はなんら解決していない。最後、妊娠した子供の父親が、スーツ姿で誠実そうな雰囲気をして現れるが、麻理を妊娠させながら音信不通になっていた男がそんなに誠実な青年だということがあるのか。どうも最後になって、脚本の説得力のなさが一気に露呈したような気がしてならない。

 これだったら、ドラマで使われなかった原作のエピソード。南区で暮らす男性の部屋に、夫の暴力から逃げて来た高齢の母親が移り住んできて、えみるが世帯分離や部屋探しのために駆け回る話を使ったほうがよかった気がする。

 ドラマ全体を通してみて、やはり原作がもっていたリアリティを、ぼんやりぼかしてしまった感じが否めない。たとえば、アルコール依存症の男性の部屋を片付けるエピソードでは、原作では、ペットボトルに尿が入っていたり、大便が転がっていたりしたが、ドラマではもう少し綺麗になっていた。さすがにそこまでテレビドラマで再現するのは、汚くなってしまって無理だったのだろうが、このことに象徴されるように、テレビ向けにソフトにした結果、リアリズムを追求するのでも、ドラマとしてエンタメに徹するのでもない、どっちつかずなドラマとなってしまった感がある。最後は、生活課に新しい自転車が届き、えみるが一番乗りで自転車に乗るシーンで終わったが、新しい自転車に乗って喜んで終わり。それでいいの? と思ってしまった。

 とはいえ、連続ドラマで生活保護というシリアスな社会問題を、それなりにさまざまな角度から取りあげた、その意義は決して少なくはなかった。生活保護というテーマには、さまざまな社会問題が絡んでいる。原作はまだ続いていることもあるし、これからのえみるたちのケースワーカーぶりを見てみたい気もするが、続篇やスペシャルは、たぶんもうないんだろうなあ。

里中高志(さとなか・たかし)
「サイゾー」「新潮45」などでメンタルヘルスや宗教から、マンガ、芸能まで幅広く書き散らかす。一時期マスコミから離れて、精神に障害のある人が通う地域活動支援センターで働くかたわら、精神保健福祉士の資格を取得。著書に、「精神障害者枠で働く」(中央法規出版)がある。

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