津川雅彦さん、逝く──芸能一家に生まれた“名優”の「引き際の美学」とは?

編集部

 8月4日、俳優の津川雅彦さんが亡くなった。78歳だった。津川さんは4月に妻の朝丘雪路さんを亡くしており、あとを追うように亡くなった。

 津川さんは映画監督のマキノ省三を祖とする、芸能一家に生まれている。兄も同じく俳優で2011年に亡くなった長門裕之さんである。津川さんも映画監督の別名義としてマキノ雅彦を名乗っている。津川さんは俳優として生前、数多くの映画やドラマに出演。その一方で晩年は、保守派の論客として『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ系)へ出演していた。

 この番組では関西系の番組と思われがちだが、東京都首都圏以外はほぼ全国ネットというべき番組であり知名度は高い。津川さんは、意見をズバズバというポジションを確立していった。番組ではフェミニストの論客である田嶋陽子氏と衝突することもしばしばだった。たかじさんからの意思を受け継ごうとする思いの現れであったかもしれない。

「津川さんは番組に出演する前から、たかじんさんとは親交があったようですね。番組のご意見番であった政治評論家の三宅久之さんの体調不良による降板(のち死去)にともない、新たなレギュラーとしてたかじさんからオファーを受けて出演をはじめました。2014年1月にたかじさんが亡くなったあとも出演を続けていました。しかし、2015年4月に番組名が『そこまで言って委員会NP』となるのにしたがって、降板をしました。番組で盛大に送り出されるといったことは望んでおらず、ひっそりとしたものでした」(芸能ライター)

 津川さんはオフィシャルブログで降板の理由を「(番組名の変更で)僕とたかじんさんとの仁義は全く無くなってしまいます。なのでこれを機会に僕も降板を申し込みました」と記している。まさに「引き際の美学」というべきものだろう。津川さんの人生はそうしたダンディズムにあふれたものであったかもしれない。
(文=相川ナロウ)

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