ギョーカイ的ドラマレビュー その1

「生活保護」という極めてデリケートなテーマに、連ドラが挑む「健康で文化的な最低限度の生活」。言うまでもなく、このタイトルは、憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」から来ている。

 この「最低限度の生活」とは、単に米やパンが買えればそれでいいという話ではない。どこまでが「最低限度の生活」なのかをめぐっては、これまで散々議論になってきたが、認定NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の理事長を務めた稲葉剛氏の著書「生活保護から考える」(岩波新書)によれば、「最低限度の生活」には、「例えば友人が亡くなった際に香典を持って駆けつけることができるような社会的な生活を営めるレベルでなければならない」という理念があるという。

 さて、本ドラマの原作は、ビッグコミックスピリッツ掲載の柏木ハルコによる同名マンガ。現在6巻まで刊行されている原作は、徹底した取材に基づいたリアリティあるストーリーで、すでに高い評価を受けているが、原作との大きな違いは早くも冒頭シーンで現れる。

 原作では、主人公の義経えみる(吉岡里帆)は、いつも天然だ、空気が読めないと言われ続けてきたことにコンプレックスを持っていたことが強調されているが、そのあたりはドラマでは、ぶつぶつ独り言を言ったりする様子でかすかに匂わせるに留められている。その代わり、ドラマのえみるは映画ファンで、大学時代映画サークルに所属し、映画監督を目指していたが、才能がないことに気付いて、安定した生活を目指して公務員になった、ということになっている。大学時代のサークルについては、原作では、「自然と親しむ会」に所属していたことがサラッと触れられているが、この映画ファンという設定の変更は、何を意図したものなのか? ドラマ中には、サイレント映画のセリフ表示のような画面も時折挿入される。

 入庁式で「生活課」への配属の辞令を渡され、何も分からないのに生活保護のケースワーカーになったえみるに、平川という受給者から「これから死にます」と電話がかかる。慌てるえみるが、平川の親戚に伝えると、「いつものことなんで」という返事に、そんなものかと思う。続いて、ベテランケースワーカーの半田明伸(井浦新)と一緒に、丸山というお婆さんのアパートを訪問すると、部屋に漂う異臭に気付く。丸山の孫娘には、「助けてくれないなら困ったことある?なんて気軽に聞かないでほしいです」と言われる。さらに排泄物の異臭にも嫌がる顔ひとつせず丸山と話す半田にも引け目を感じるえみる。役所に戻ると、ふたたび平川から「私はやっぱり死んだほうがいいですよね」という電話があり、長々と話をするが、最後は適当に話を切り上げてしまう。

 この時点でかなり遅い時間になっているはずだが、そのあと食堂で生活保護の手引きを読みながらご飯を食べ、さらに帰宅後、自分へのご褒美として、壁にかけたスクリーンで、映画『風と共に去りぬ』を鑑賞。最後まで見ていたが、これって4時間近くある映画なのだが、翌日も仕事があるのに通しで見たのだろうか。

 翌朝、えみるに京極大輝係長(田中圭)が告げたのは、あの平川が飛び降りて亡くなったという事実。ショックを受けるえみるを慰めようとしたのか、ひとりの先輩ケースワーカーは、「ひとケース減ってよかったじゃん」と告げる。

 だが、半田と共にその部屋を整理に訪れたえみるは、平川も懸命に生きようとしていたことを知るのだった──。役所に戻り、「ケースワーカーやる資格ないや」と落ち込むえみるに、それまでクールに接していた栗橋千奈(川栄李奈)が、「自転車の油さしといたから」と一言。AKB48卒業生の中、女優としてナンバー1の出世頭である川栄演じる栗原は、福祉職としての採用で、えみると違いすでに生活保護への専門知識もあるという設定。これからのえみるとの対比が気になる役柄だ。

 「映画であればここで主人公が『こんな思いもう二度としたくない!』ってエンドロールに向かうのだろう」って、そんな映画ないと思うが、それから2カ月がいつの間にか経過し、えみるは阿久沢正男(遠藤憲一)という受給者の担当になる。借金返済のために1日一食しか食べてないという設定のこのキャラに遠藤憲一。さすがに芸達者というべきか、それなりにやつれているように見える。阿久沢も映画好きで、家にビデオが並んでいるので、えみるは「私もここにある映画は全部見てます」とアピールするが、スルーされる。さらに15年会っていない娘に似ていた子を見たと、映画館の前で毎日立って不審者扱いされる阿久沢、と、このへんの映画がらみのエピソードも原作にはない。やはりえみるの映画好きという設定は謎。ドラマの味付けとしては、主人公が発達障害気味というより、映画好きくらいのスパイスのほうが香ばしくて味わいやすいと思ったのだろうか。

 えみるは無料で法律相談をしていく法テラスに阿久沢を連れていこうとするも、「私のこと見下してますよね」「相談に乗ってもらってもどうにもならないんですよ」と拒否される。そんな阿久沢を、半田は自分の主張を押し付けずに話かけることで心を開かせる。結局えみると阿久沢がふたりで法テラスに行くと、実は借金はすでに返済しているどころか過払いになっており、150万円が戻ってくることに。「この15年借金のことばかり考えてたのに、もう返さなくていいなんて信じられません。本当にありがとう」と感謝されるのだった。

 最後、生活課で、えみるは阿久沢の生活保護が廃止になることを皆に報告。視聴者はなぜ仕事も決まってないのに保護が廃止になるのかと思ったかもしれないが、100万単位の金が入った時点で、保護の必要はなくなったと廃止になるのがこの制度。さらに入ったお金からこれまで保護費として支払われた金額のいくらかを返還しなければならない場合もある。それでも仕事が見つからなかったら、またお金を使い切ったときに保護を申請してください、ということになるのだ。

 あらすじを追うとかなり長くなってしまったが、総評としては、原作は、さまざまな問題に対して、解決しきれない課題が残っていることを示唆してリアリティを出しているのに対し、ドラマということで、ややわかりやすくあっさりと解決している感じが出てしまっている。

 最後に半田がドーナツを持ってきて、「ドーナツ」か「ドーナッツ」かと言いながら、皆で食べたり、いかにもなドラマ的分かりやすさと軽さがあるのは否めない。とはいえ、それでも夜9時の連ドラとしては、よく社会的なテーマに切り込んでいるほうだとは思う。

 もっとも、筆者の知り合いの生活保護受給者にドラマ終了後電話をかけて感想を聞いたところ、「あそこまで親身になるケースワーカーはいないですよ。せいぜい『絶対法テラスに行ってくださいね』と言うだけで、同行まではしないし、もっと淡々としています」とのこと。

 事務処理に忙殺されて疲弊寸前、とうてい一人一人とじっくり関わってはいられないのが実際の現場だとしたら、このドラマは「生活保護の現場がこんなふうであったらいいね」という期待を込めた、福祉に携わる者への応援歌かもしれない。「彼女は利用者に思いやりあると思います」と、えみるのことを言う半田に、「じゃあ長続きしないかもしれないですね。優しすぎるやつはこの仕事向かないですから」と京極が言いながら終わりとなった今回。えみるの優しさは今後どこまで通用するのか。次回以降も、リアリティとドラマとしての見応えのバランスをどう取っていくのか。注目したい。

里中高志(さとなか・たかし)
「サイゾー」「新潮45」などでメンタルヘルスや宗教から、マンガ、芸能まで幅広く書き散らかす。一時期マスコミから離れて、精神に障害のある人が通う地域活動支援センターで働くかたわら、精神保健福祉士の資格を取得。著書に、「精神障害者枠で働く」(中央法規出版)がある。

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