「ポケモン」からボカロ曲まで小林幸子を復活へと導いた“幸子イズム”とは?

編集部
  “オマケ精神”の原点は、幼い頃に見た母の背中にあるという。

「私は生まれが新潟で、両親が肉屋をやっていて。母がお惣菜担当で、コロッケとか、メンチカツとか、ポテトサラダとかを作って売っていたんです。お客さんが『ポテトサラダ100gください』って注文した時、母はお惣菜を1度計った後、かならず一はけ分を上乗せして、『オマケしておきますね』って小さな声で言うんです。そうすると、お客さんがすごく喜んでくださって。子供心に、そうした母とお客さんとのやりとりを見ていて、『オマケをすると喜ぶんだな』って…。この仕事をはじめてからも、『みんなが喜んでくれる“オマケ”は何かないかな?』というのが、常に頭の中にあって。そうした“オマケ精神”が、『紅白』での(巨大)衣装や色んなことに挑戦させて頂くことにも繋がったんだと思います」

  今月には国内400万ID突破のセガゲームスの人気オンラインゲーム「PSO2」に“地球親善大使”として登場。
  ゲーム内でライブを行うなど、また新たな試みにも挑戦しているが、「新潟や台湾の大使はやらせて頂いたことがあるんですけど、まさか自分がゲームの中で“地球親善大使”になるとは思いませんでした。ゲームの中でライブをやっている小林幸子がいるというのは、面白いですよね」とハニカむ。

  その笑顔の裏には、「自分の“許容量”を超えて何事も楽しむ」という“幸子イズム”が垣間見える。

  もちろん、そうした“幸子イズム”を支えているのは、天性の才能と経験に裏打ちされた、聴き手を魅了してやまない歌唱力だ。

「私もこの50年間、演歌だけではなく、歌謡曲やスタンダードナンバー、ジャズ、シャンソンと何でも歌ってきましたから。クラブやキャバレーでお客さんに合わせた曲を歌ったこともありましたし、米軍のキャンプ場で洋楽を歌ったこともありますし。だから(ボカロ曲にも)抵抗はなかったですね。50年間の歌手生活の中で培ってきた引き出しを開けて、歌わせて頂くのは達成感もありますし」

  小林幸子というと、演歌や若者たちの間ではボカロ曲のイメージが強いが、すでに20年近く前に今をときめく人気ゲームとのコラボも果たしている。

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