有吉弘行、ヒッチハイク企画で「死を乗り越えて人生変わった」と語る

編集部

 有吉弘行が8月5日放送の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)において、猿岩石時代のユーラシア大陸横断ヒッチハイクの裏話について語った。

 この日の放送ではリスナーからのメールで、76年周期で地球に接近するハレー彗星が、次にやってくるのが2061年だと紹介された。その時、有吉は87歳、アシスタントのやさしい雨の松崎克俊は78歳、元トップリードの和賀 勇介は81歳になっており、有吉は「もう全員死んでいるな」と語り、笑いを誘っていた。

 さらに、有吉は幼少期の体験を語り「子どものころから21歳で死ぬっていう夢をずっと見ており、親にも『俺21歳で死ぬの?』とずっと訊いていた」ようだ。

 実際に有吉が21歳のときに、ヒッチハイク企画が来たので「おふくろが心配したんだよ。(夢の話を思い出して)ああ、この企画で死ぬんだ」と語った。

 猿岩石のヒッチハイク企画は、1996年に『進め! 電波少年』(日本テレビ系)内で行われた。香港へ連れて来られた猿岩石が、その場でヒッチハイクでイギリスのロンドンまで向かう企画が発表された。渡される所持金は10万円のみで、食費宿泊費はもちろん各国のビザ代も工面しなければならない。金がなくなれば、野宿は当然のこと水を買うこともままらなかった。

 有吉は旅の途中、パキスタンにおいて栄養失調から来る体調不良で入院を余儀なくされている。そのほか治安の悪い場所での野宿や、美人局で有り金を巻き上げられる経験もしており、死が隣り合わせにあったのは確かだろう。過酷な体験をしたヒッチハイク企画について有吉は「人生が変わったのは間違いない」とふりかえっていた。

 よく知られている通り、有吉はヒッチハイクの帰国後には2,000万円の月収を手にする大ブレイクを果たす。だが、コンビは解散し収入も落ち込み「どん底だと思ったらまだ底がある」ほどの地獄を見る。その時には自殺も考えたほどだという。

 現在の有吉の活躍はいくつもの死の危険を乗り越えた先にあり、それゆえに強さもあるといえるだろう。
(文=相川ナロウ)

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